イケウチな人たち。

by IKEUCHI ORGANIC

好きな人たちと考える、これからの豊かさ

イケウチな人たち。について

産地の活路を切り開く、地域ブランドの生存戦略とは…?

- 長崎大学 山口純哉 -

「日本中の産地がリブランディングに取り組んでいるんですけど、実際に上手くいっているかというと、自立している産地やブランドはほとんどないんですよね」

このような問題を指摘したのは、長崎大学経済学部の山口純哉(やまぐちじゅんや)准教授。

池内タオルの時代から20数年もの間、ひとりのファンとして、また研究対象としてIKEUCHI ORGANICを見続けてきた山口さんは、1995年に起こった阪神淡路大震災を機に、日本の地場産業の研究と復興に尽力してきました。

日本の多くの地域のものづくり産業が混迷をたどる一方で、波佐見焼の産地である長崎県産波佐見町や洋食器の産地である新潟県燕三条市など、リブランドに成功している地域が存在します。

これからの地域とモノづくりの担い手は、自立しながら産地と発展していくためにどうすればいいのでしょうか?

研究対象であるイケウチオーガニックの事例も踏まえつつ、地域ブランドが抱える課題と打開策を山口さんに伺います。

地場産業の研究を始めたきっかけ

──日本の地場産業の研究するきっかけは何だったのでしょうか?

1995年の1月17日に阪神淡路大震災があったんですよ。

震災が起きて1ヶ月弱くらいの時に神戸商科大学のプロジェクトとして、復興問題を扱う調査をやるぞってことで、当時の師匠が「手伝って欲しい」と言う。

突然でしたが、神戸市長田区の避難所で被災状況を調査しました。

ふつう地震が起きると1ヶ月か2ヶ月も経てば、避難所とか仮設住宅からみんな通勤を始めるんです。

ところが長田区の働き盛りの方々が、みんな避難所にいる。

その時に初めて長田区はメーカーが450社、関連業者が2,000社ある靴の産業の集積地だと気づいたんです。

靴の産業、特に合成皮革を使ったケミカルシューズ産業の集積地だからゴムがあり、接着剤があり、油がある。だから長田区は最後まで燃え続けてしまったんです。

産地が焼けてしまったので、国内の卸・小売業者は製品の調達先を中国に変えました。ところが中国の製品に対して日本の消費者はそれほど文句を言わなかったんですよ……。

海外の国に仕入先を取って代わられてしまったら、長田区のような地場の産業は衰退しますよね。

僕が地場産業や産業集積の研究にのめり込んだきっかけは、長田区との出会いがあります。

自立できない地場産業からニューウェーブは起きるのか

──地場産業が衰退した原因について、どのように考えていますか?

日本の地場産業がどこも右肩下がりになった理由のひとつに、経済学で言う囚人のジレンマがあります。

シリコンバレーのように、みんなが新しいものを作って切磋琢磨していれば、多少なりとも産地は前を向いて動いていくはずです。

ところが如何に安く作るかという意味での効率を重視するあまり新しい開発コストをかけたくないと、みんながみんなの真似をして同じものを作ってしまう。

当時の長田区でもデザイナーはいなくて、パタンナーしかいなかったと言われていました。

ですから当時、日本の多くの地場産業は東京や大阪の問屋や小売店にものすごく抑圧されていました。

受託中心の作り手は、売ってくれる人の話を全部聞くしかない。

一番おいしいところをよその業者が握っていることになりますから、「価格を下げろ」と言われたら、言われるままに下げるしかない。

すると従業員にしわ寄せがいき、やる気も落ちる。新しい開発費も充てられなくなってしまうんです。

自立できない右肩下がりの地場産業から、ニューウェーブはどうやって起きてくるんだろうと考えるようになりました。

泉州のタオル産地を調べてみたり、新潟の燕三条の洋食器の産地を調べてみたりする中で、そういえば愛媛県には今治タオルがあるねと。

四国タオル工業組合(現:今治タオル工業組合)に行ったら、池内さんが理事としていらっしゃったんですよ。

イケウチは研究対象であり、試金石でした

1999年に最初に発売したオーガニック100%のタオル「オーガニック120」ができた時は、まだ半信半疑で見ていました。

糸がどうだ、織機がこうだという池内さんの話についていくために、タオル用語辞典を買って。ネットでも日々検索して、池内さんのブログも全て目を通していましたよ。

尖ったモノづくりができれば産地はまだまだ維持できると考えていたので、イケウチさんを先導的なメーカーとして注目していたのは間違いないですね。

──とはいえ、当時の池内タオルはその後すぐに民事再生法の適用申請するような状況だったのでは?

池内さんは表向きでは強く仰っていなかったと思いますけど、「オーガニックに舵を切っていかなきゃいけない」「このままじゃダメだ」と繰り返し聞いていたので、このタイミングで方向転換するということなんだろうなと。

民事再生って大変なことなんですけど、しがらみを断ち切れるいい機会だと思うんですよ。

東日本大震災もそうなんです。

気仙沼で被災しても立ち直っている中小企業は、元々しがらみの少ない企業です。だから次の道さえちゃんと考えていれば前に進めるんだと聞きました。

ただ、過去の歴史も含めて地場産業の中で民事再生という形で復活していく例はあまりないですよね。

ですから興味深かったですよ。イケウチは試金石だったんです。

日本の中小企業はコストダウンではなくて差別化で勝負するべきだし、思考錯誤して本当にいいものを追求するような人間的な働き方であるべきだ。そうすれば中小企業が競争力をもって生き残って、働く人にとっても経営者にとっても消費者にとっても幸せになるのではないか? とずっと考えていたので。

ただね、当時は電話もメールもできなかったです。民事再生は専門家がたくさんいる大企業でも大変な作業じゃないですか。

ワンマンでやってる経営者がひとりで作業していくのは、どれだけ大変なことなんだろうと。

地場産業を見ていると、自分で命を絶つ経営者の話も良く聞いていたんですよね。

池内さんに「何かしましょうか?」とは言えませんし、「どうですか?」なんて聞けなかった。

ドキドキしながら見ていたのが本音です。前向きではあったんですけどね。

今のIKEUCHI ORGANICは、過剰包装に思えてならないわけです

──その後の大きな変化として、2014年にイケウチオーガニック株式会社へと社名変更がありました。

ブランドのリニューアルもドキドキで見てましたよ。

通販でタオルを買った時にあれ?って思ったんですけど、じつは今も怖くて池内さんには言えないんですよ(笑)。

イケウチさんの今の商品、通販も使う身としては過剰包装に思えてならないわけです。

リニューアル後の商品にはI(アイ)のタグがいっぱい入ってきて、白いパラフィン紙があって、白い段ボールがある。

コットンヌーボーの茶色い箱は、箱の上にさらにもうひと重ねで段ボールに入ってきますから、もしかしたらイケウチさんのコンセプトが崩れるんじゃないかと思って。

最大限の安全性と最小限の環境負荷というコンセプトがあるのに、包装やロゴをまき散らしていいのかという疑問が、僕はすごくある。

じつはもう6年くらい疑問に思っているの。どこかのタイミングで池内代表に言わなきゃと思っても、恐くて意図を聞けないんですよ(笑)。

自分がどう思っているかというより、世間の人がイケウチオーガニックをどう見ているかが気になる。

だから僕が「イケウチいいよ。通販でも買えるから買ってみなよ」って人に勧めた時に、「え、先生。全然環境に配慮されてないよ、過剰包装だったもん」なんて言われる時が来ると怖いなと思ってます。

──そうですね……。「最大限の安全と最小限の環境負荷」という企業理念があり、創業120周年にあたる2073年までに赤ちゃんが食べられるタオルを創ることを目指しています。この点に関して、山口先生はどのように見られていますか?

すごくいいと思います。このコンセプトはずっと変えずに続けていってほしいと思うんですよね。

でもバランスがすごく大事。赤ちゃんが食べられるタオルの包装は、滅菌室で全ての菌が取り除かれた真空パックでなければならないような世の中がいいかというと、そうではないと思う。

買った瞬間は真空パックの方が安全であるのは間違いないんだけど、その後タオルを洗って使っていく過程で減菌ではなくなっていくわけです。

瞬間的にスペシャルなことをやるんじゃなくて、赤ちゃんに対する日常の安全性を維持していくことに力点を置けると、より社会性の増した企業になっていくのではないかと思います。

社会性が武器になる

──阪神淡路大震災の頃と今を比較すると、日本の地場産業は良くなってきているんですか?

明らかに変わってきていますね。

今治の産地もそうですが、前向きな企業が出てきて新しいことにチャレンジしています。長崎にも、波佐見焼というブランドがありまして。

波佐見町は日本でも最大級の焼き物の産地だったんですよ。日本に磁器が広まったいちばんの立役者は波佐見焼なんです。

ところがヨーロッパに輸出する時には伊万里から出荷したので伊万里焼と呼ばれて、日本国内に出荷する時には有田から出荷するので有田焼って言われたんですよ。

だから波佐見焼の名前は表に出てくることはなかった。しかしながら産地偽装の問題から波佐見焼が表に出るようになる過程で、若い人や外から来た人たちが足を引っ張り合わずに新しいものをどんどん取り入れて、地元の人々も彼らを受け入れてリブランドしたんです。

今では日本最大級の器の祭典であるテーブルウェア・フェスティバルで、東京の人が10万円単位でカードで買ってくれる焼き物に変わってきています。

僕の中でもどこまでいけば本当の答えが出るのかわかりませんが、長田区を調査して感じていた問題意識に対して、イケウチさんの商品や、経営や、人に、一定の答えをいただいていると思ってますよ。

──その一定の答えは、何かに集中して差別化するということですか?

当然差別化は大事ですが、これまでは武器にならなかった社会性が差別化する要素になりました。

つまり経済とは別ものだと思われてきたことが、経済の世界でも武器としてちゃんと使えるようになったんです。

高度成長期から2000年代に入るまで、一部では問題視されてきましたが、安全や環境負荷は後回し。経済優先でした。ところが安全や環境を理由に、ものやサービスを買う消費者が出てきたんです。

働く現場でもいかに数をこなすかで評価されて賃金をもらう世界から、頭を使い自分なりの独自性を加えながらやりがいをもって働く土台が、地場でもできあがってきている。そういう意味で一定の答えをイケウチさんは示してくれていると思いますね。

かなり前に池内さんから聞いた、いいものを作るのは当たり前、ものを作る過程で社会にとっていいコトを、をブレることなく具体化している。

点ではなく面となって、産地の活路を切り開く

──では社会性は、産地やモノづくりに携わる人々の幸福に関係してくるのでしょうか。

うん、そう思いますよ。僕が経済学を選んだ理由は経済学が基本的に弱者のための考え方だからです。

生活に必要な必需品やちょっと便利になるような利便品が人々に簡単に行き渡るように、その仕組みを考えるのが経済学であるとアダム・スミスは言っています。

今まで我々が目指してきたのは、経済活動の対価をともなう取引の中で必需品を手に入れようとする社会。

しかしながら、ボランティアやシェアの考えが根付いたりしたことによって、従来型の経済活動や政府の活動を伴わない形でも自分の生活に必要なものが手に入るような社会になりつつあります。たとえば環境負荷の低減は、自由な経済活動では見向きもされなかったので、政府による規制や誘導によって達成しようされてきました。

経済的な利害優先主義の考えから揺り戻されつつある社会における豊かさとは、誰もが存在するだけで価値があり、自分のやりたいことややるべきことにチャレンジできる社会だと思います。ただし、豊かな社会には一定の社会性が不可欠です。

地域でも個人が自分のことだけであるとか、企業が自分のことだけを考えると、明らかに地域の経済は続かない。個人や企業にとっていい状態が、地域にとっていい状態である保証はないんです。

もちろん自分が儲かるのは大事。だけど、街があってはじめて儲かるのだから、街のこともちゃんとケアするのが商店街の商店主としての責務だと、よくゼミでも話しています。

ですからイケウチの哲学を学んだ社員が他の企業に散らばって、イケウチさんと同じように未来を描く価値を創っていくことにも期待したいなと。環境にしろ労働にしろ、企業内外の誰にも迷惑かけずに、こだわりのものやサービスを世の中に提供する企業って、働く人にとっても魅力的ですよね。

イケウチさんは個の企業としてものすごく強さを持っているけれど、 まだひとつの点でしかない。

点から線へ、面の動きへと産地が活路を切り開いていく過程で、イケウチさんには卵を返すふ卵器のような役割を果たしてほしいですね。

ブランド化している産地は尖った個が集まった結果、自立していますから。

多様な価値観に触れて、価値観を再構築する

── 山口さんは産地や地域を担う人材の育成にも目を向けているんですね。

山口研究室のミッションは、遠い時間、異なる空間、多様な人々を想い、考え行動できる人材の育成です。

研究室での2年間、ゼミ生はまず自分を捨てることから始めます。

アインシュタインは言いました。「常識とは18歳までに蓄積された偏見のコレクションである」と。

人それぞれですが、たかだか20歳前後で自分の関心を特定するのはもったいない。

だから、自分に固執せずに多様な価値観に触れて価値観を再構築する。

そのために多様な人に会う、話す、聴く。多様な組織に触れてみる。

本気で誰かのために物事を考えてみる。可能であれば、ゼロからイチをつくる行動を起こしてみる。

その過程でイケウチオーガニックは大切な存在。僕の代わりに学生や経営者に道徳的な経済活動、つまり人間の本性を語ってくれるからです。

1999年に発売したオーガニック120の初期モデル。発売当初はグリーンコットンの文字が入っていた

ストレイツ220の前進、ストレイツ。ゼミ室には年代もののタオルから、最新モデルまで置いてある

価値観の再構築に愚直に取り組んだゼミ生は、卒業後、私、共、公のバランス感覚がいいんですよ。

何かおかしいなと感じながら生きている。時と場合によっては、家庭や会社、社会で行動を起こせる。そして喜怒哀楽全てを楽しんでいます。

大学教員として20年と限られた経験ですが、そんな人が増えれば誰もが存在するだけで価値があり、誰もが自分のやりたいことややるべきことにチャレンジできる社会が実現するのではないかと考えています。

執筆:小松崎 拓郎/撮影:木村 雄司/編集:藤村 能光

WRITER

1991年茨城県生まれ、ベルリン在住。フリーの編集者/フォトグラファー。「灯台もと暮らし」編集長、「もとくらの写真/現像室」オーガナイザー、オリンパスアンバサダー。

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