イケウチな人たち。

by IKEUCHI ORGANIC

好きな人たちと考える、これからの豊かさ

イケウチな人たち。について

走りながら考える。立ち止まらず、一歩でも前へ

- 「TK HOKCEY」 黒川太郎 -

「常に走りながら考える」という人がいます。

今回お話を伺った黒川太郎さんは、まさにそんな人でした。

11歳のときに始めたアイスホッケーでプロを目指すも、大学時代に挫折を経験し、選手ではない関わり方を模索して本場・カナダへ留学。NHL(※1)の下部組織にあたるチームでの勤務を経て、帰国後にはFC東京で世界と戦うサッカー界の取り組みを学び、現在はアイスホッケーを通じた人材育成を行う『TK HOKCEY(※2)』の代表を勤めています。

黒川さんのお話を伺ってみて、「走りながら考える」というのは、器用な人だからできるわけではないことがよくわかりました。

それはきっと「その時々で自分の素直な気持ちに従って決断する」という覚悟の上に成り立っているのだと思います。

少なくとも黒川さんは、自分の決断がどんな結果に繋がろうと、決して人を恨んだり、言い訳したりせず、そこから新たな一歩を踏み出すことで道なき道を切り拓いてきました。

TK HOKCEYの活動の一環で、黒川さんが監督を務めるアイスホッケーチーム『ジャパン・セレクト』(写真:黒川さん提供)

「僕はあまり目標をつくらないタイプなんです。目標をつくっちゃうと、そこまでしかいけないような気がしちゃって」と力強く語ったかと思えば、「でも、目標がないから何事も時間がかかっちゃうのかなとか、色々と葛藤もあるんですけどね…」と吐露する黒川さん。

そんな愚直なまでの真っ直ぐさに惹きつけられた企業のひとつがIKEUCHI ORGANICです。

IKEUCHI ORGANICでは、試合や練習で使用するタオルを提供することで、2年前からTK HOCKEYの活動をサポートを行っている

指導者として選手たちを輝かせようとする黒川さんと、その選手たちがストレスなくプレイに集中できるように手助けをするIKEUCHI ORGANICのタオル。

両者には、「誰かのために縁の下の力持ちに徹する」という共通点がありました。

※1:NHL
世界最高峰のアイスホッケーリーグである『ナショナル・ホッケー・リーグ』のこと。NBA(バスケットボール)、MLB(野球)、NFL(アメリカンフットボール)と合わせて北米4大プロスポーツリーグと呼ばれている。

※2:TK HOCKEY
黒川さんが代表を務める組織。アイスホッケースクールの開催、海外合宿イベントの企画・運営、海外アイスホッケー留学の斡旋、選手エージェントなどを行いながら、アイスホッケーを通した人材育成を行っている。海外大会に参加する少年少女アイスホッケーチーム『ジャパン・セレクト』の運営も行っており、黒川さん自身が監督を務めている。

選手ではないアイスホッケーとの関わり方を探し求めて

小学5年生の時に地元・神戸に新しいスケートリンクができて、そこで日本対ソ連(現ロシア)の親善試合が行われたんです。それを家族で見に行ったのがアイスホッケーとの出会いでした。

それからすぐ地元に少年チームができて、僕もアイスホッケーを始めました。高校まではずっとチームのキャプテンで、当時はプロを目指してたんですよ、真剣に。だけど、大学に進学すると世界大会に出ているような選手がたくさんいて、自分はお山の大将だったことに気づかされたんです。

地元では上手かったけど、大学では試合に出られない。それで、自分の立ち位置っていうのがなんとなくわかってきて…。理想と現実とのギャップに苦しんだ時期でしたね。

結局、プロへの道は断念したんですが、別の方法でアイスホッケーと関わることはできないかなと思って。2年ほどアルバイトでお金を貯めて、本場のアイスホッケーを体感するためにカナダのバンクーバーへ行ったんです。

カナダでは、まず大学付属の語学学校に通いました。当時は英語を習得して、外資系のスポーツブランドに勤めたいと考えていたので。だけど、向こうに行ってから初めてスポーツビジネスというジャンルの仕事があることを知ったんです。僕にとっては大きな衝撃でした。「プロ選手にはなれなかったけど、NHLに関わる仕事ができるかもしれない!」と思って。

それで、すぐに受験勉強を始めて、なんとかスポーツマネジメントの勉強ができるバンクーバーの大学に入ったんです。

ただ、プロのスポーツチームで仕事をしたい人って、カナダやアメリカにすごくたくさんいるんですよ。まして外国人が採用してもらうというのは、本当に狭き門で…。

だから、僕はインターンシップでもいいので、どこかのチームに入り込むことを考えました。狭き門をくぐろうとするのではなく、まずは間口の広いところから入って、内部から実力で這い上がろうと思って。

それで、カナダとアメリカのプロアイスホッケーチームに履歴書を送りまくったんです。たしか100通以上は送ったと思います。「無給でいいので、インターンシップをやらせてほしいです」って。

その結果、返事がきたのは7通くらいで、そのうちの3チームが僕に興味をもってくれたんです。その中のひとつが、NHLに所属する『バンクーバー・カナックス』の2軍にあたる『マニトバ・ムース』というチーム(現在は、NHL『ウィニペグ・ジェッツ』の2軍)でした。

僕はバンクーバーに留学していたので、カナックスの大ファンだったんです。マニトバ・ムースは、カナックスの有望な若手選手を育てるような場所なので、そんなチームでインターンシップをやれるというのは夢のような話でした。それで、すぐに大学を休学して、チームのあるウィニペグに引っ越したんです。

NHL下部組織でのインターンシップ

インターンシップを始めた頃は、まだ言葉の壁もあったので、小学校にイベント案内のファックスを送ったり、書類を封筒に詰めたりという誰にでもできるような仕事をしてました。いわゆる雑用係ですね。

だけど、自分のポジションを築かないと生き残れないと思っていたので、どうにか仕事を学ばなきゃと考えていたら、コピー機のところにいろんな書類があることに気がついたんです。コピーに失敗した紙とか、捨ててあるような書類がいっぱい。

それをかき集めて読んでみたら、チケットセールス部門が何をしているとか、運営部門がどんな目標を掲げているとか、普通にインターシップをしているだけではわからないことを知ることができたんです。そうやって、とにかく自分で仕事を学んでいました。

そしたら、社内でスパイ容疑をかけられちゃって…(笑)。上司から呼び出されて、「書類を集めてるらしいな。まさか、外に情報を漏らしてるわけじゃないだろうな?」って聞かれたんです。どうにかして仕事を学びたかったって話をしたら理解してもらえたんですけど、何をすべきか自分で考えて行動するしかなかったので、そういう失敗はたくさんありましたね。

結局、マニトバ・ムースでは、マーケティングアシスタントとして1年半働いて、その頃には上司から「もうポジションは考えてある」と言ってもらってたんです。要するに、正社員で雇ってくれると。その言葉を聞いた瞬間、涙が出るほど嬉しかったのを今でもよく覚えています。

だけど、外国人を雇用する場合、なぜ会社が外国人を必要としているのか政府に証明できなければ就労ビザが発行されないんですよ。しかも、「この人が有能だから雇用する」というような理由は通じないんです。それなら、国内の雇用を守るために、同じ能力を持ったカナダ人を採用しなさいってことになってしまうので。

それで、会社はわざわざ僕のためにアジアからスポンサーを取ってくる部門というのを立ち上げてくれたんです。そこから1年間は、社員として試合運営などに関わり、本場のスポーツビジネスを学ぶことができました。カナックスの選手たちと関われる仕事は本当に夢のようで、毎日が充実していましたね。

だけど、就労ビザを更新する際に問題が発生してしまったんです。正社員で、外国人で、フルタイムでってことになると、それに見合った高額の給料を払わないといけないっていう規定があるんですけど、そこがネックになってしまって…。会社側もいろいろと考えてくれたんですけど、結局そこの折り合いがつかず、カナダで働くことができなくなってしまったんです。

マニトバ・ムース時代(写真:黒川さん提供)

帰国後、縁あってサッカーの世界へ

当時は、必死で努力してやっと夢のステージに辿り着けたところだったので、とても大きなショックを受けました。長年追い続けてきた目標が突然失われてしまって、これからどうしたらいいのかわからないというか、失意のドン底でしたね。

だけど、カナダでの経験を無駄にするわけにはいかなかったので、帰国後は栃木県にある日光アイスバックスというプロのアイスホッケーチームで働かせてもらうことになりました。日光では、試合の運営から、マーケティング、ファンサービスなど、カナダではたくさんの人数でやっていたことを、ほぼひとりでやりましたね。だけど、財政的に厳しいチームで、半年後には辞めざるを得なくなってしまったんです。

それからはまた就職活動。例のごとく、スポーツ関連の会社に何通も履歴書を送りまくりました(笑)。

それで縁あって、JリーグのFC東京で働かせてもらうことになったんです。

FC東京で取り組んでいたのは、地域とチームとを結ぶ仕事。具体的には、出資してもらっている市役所や、応援してもらっている地元の商店街などと一緒にサッカー教室を実施したり、町のお祭りに選手たちが参加することで、チームの価値を地域に還元するという取り組みです。また、スポンサー企業との折衷を行う部署でも勤務しました。

スポーツチームというのは、たくさんの企業や地域やファンの皆さんによって支えられていることを、実感する日々でしたね。

FC東京時代(写真:黒川さん提供)

そういう仕事をしながら、平日夜や週末には地域の子どもたちにアイスホッケーを教えていました。やっぱり、心の中心にあるのはアイスホッケーだったんです。

アイスホッケー界にとってのサッカー界は、偉大な先輩です。1993年にJリーグが開幕して、今では日本もワールドカップの常連国になり、海外のクラブで活躍する選手も増えてきてるじゃないですか。

その背景には、早い時期から世界を見据えてきたというサッカー界全体の姿勢があったと思うんです。実際、サッカー界には選手だけでなく、指導者も親御さんたちも意識が高い方が多くて、「世界と戦うには、こうしなきゃいけない」といった話が当たり前に聞かれます。

アイスホッケーもそうなっていくためには、サッカー界から学ぶことって本当にたくさんあるんです。

再びアイスホッケーで世界を目指す

FC東京で働いている時に、アイスホッケー関係の知り合いから、「カナダで子どもたちの世界大会があるんだけど興味ない?」って話をいただいたんですよ。調べてみると、すごく大きな世界大会で。選抜チームを作って参加したら面白いなと直感的に思いました。

ただ、その大会が2月中旬で、全部で2週間も続くスケジュールだったんです。Jリーグは3月開幕なので、その時期は絶対に休めないんですよ。だから、仕事を辞めるしかないなと思って。

やっぱりアイスホッケーに関わりたいという想いが強かったので、8シーズン働かせてもらったFC東京を辞めました。先の見通しは何も立っていなかったんですけど、大会に行くためには他の方法はなかったので。「まずは辞めて、その後のことはなんとかしよう」って気持ちでした。

そこからフェイスブックで大会への参加者を募集して、子どもたちの選抜チームを作りました。それが、今年で5年目になる『ジャパン・セレクト』というチームです。お陰様で、今ではだいぶ知名度も上がってきて、国内外のたくさんの子どもたちが目標としてくれるチームになりました。また、OB・OG選手たちがアンダー世代の代表チームで活躍するようになっています。

国際大会・海外合宿でのジャパン・セレクト(写真:黒川さん提供)

当初はカナダで行われる世界大会に出場するために作ったチームだったんですけど、今ではヨーロッパの大会に出場したりと、活動の幅が広がってきています。このプログラムをきっかけにカナダへアイスホッケー留学をしている子もいますし、反対にカナダのチームが日本にくるといった交流も生まれました。

大人が変われば、子どもたちの未来も変わる

僕は、日本から世界に通用する選手が出てきてもらいたいなと本気で考えています。

男子の日本代表チームは、自国開催だった1998年の長野大会を最後にオリンピックに出場できていないんですよ。だけど、若い時に海外でプレイした経験を持つ人が増えれば、選手の意識は変わっていくし、きっと日本のアイスホッケーは強くなっていくはずです。

子どもたちにアイスホッケーを教えていると、彼らの可能性っていうのは本当に無限大だなと感じるんですよね。だけど、彼らの可能性を広げてあげるためには、まず僕ら大人が変わらなきゃいけない。子どもたちを取り巻く環境を変えていかなければいけないし、指導やアプローチ方法だって変えていかなければいけない。指導者にしても、親にしても、我々大人が変われば、子どもたちの未来も変わると信じています。

ただ、忘れてはいけないのは、全員がプロになれるわけではないということです。もちろんトップレベルの人たちの環境を良くしたいという想いもあるんですけど、それ以外の純粋に楽しんでいる子たちも、アイスホッケーを通して成長できるような環境を作っていきたいと考えています。

プロになる選手も、引退すれば社会の中で生きていかなきゃならないわけじゃないですか。そうなった時に自分で考えて行動できる人だったり、別の世界でも活躍できる人だったり、そういうふうに社会で強く生きていけるような大人になってもらいたいと思っていて。

だから、子どもたちにはアイスホッケーだけでなく、社会でたくましく生きていけるだけの力を身につけてもらいたいです。そのためには、アイスホッケー以外のことにも興味をもち、様々な世界に身を置くことが必要だと思うので、そういうことを伝えながら選手たちと向き合っています。

日本では、今でも上から一方的に正解とされるものを伝えるトップダウンの教育が多く見られます。しかし、そうやって答えを教えられるだけの環境では、子どもたちは自ら考えることをやめてしまいます。

アイスホッケーは、状況に応じて瞬時に判断することが求められる競技です。だからこそ、僕は単に答えを教えるのではなく、子どもたちが自分で考えて、行動・判断できる力を身につけてくれるような指導を心がけています。

生きているうちに叶わないかもしれない夢を追いかけて

日本の男子チームがオリンピックに出場したり、世界と対等に戦えるようなレベルになるというのは、現実的に考えて、僕が生きているうちに実現できるかわかりません。だからこそ、自分が経験してきたことを次世代に繋げていきたいという想いがあるんです。

その点は、イケウチさんと共通するなと感じることがあって。「2073年までに、赤ちゃんが食べられるタオルを創る」って、とてつもなく壮大な夢じゃないですか。それこそ、今の社員さんたちが生きてるうちに成し遂げられるかわからないくらいの。

それと、社員の方々にお話を聞くと、タオル作りに関わる人たちを非常に大事にされてるなって思うんです。工場の方々はもちろん、原料となる綿を作っている生産者の方々も含め、いろんな人との信頼関係を密にしていくというのは、チームワークを上げていくのと同じことですよね。

僕もジャパン・セレクトも、子どもたちだけじゃなくて、親御さんやそれぞれの所属チームの人たちだったり、現地の方々だったり、ホームステイ先の方だったり、現地の日本人のコミュニティだったり、そういう人たちが応援してくれたり、支えてくださっているからこそ、活動が続けられているんです。だから、イケウチさんの姿勢から学ばせてもらうことはたくさんあります。

もともと僕はプロのプレイヤーになりたくて、でもダメで、じゃあってことでNHLで働きたいと思って、それもビザの関係でできなくなっちゃって。それで、今は子どもたちにアイスホッケーを教えています。

結果だけ見るといくつもの夢に破れてきたんですけど、今はプロになれると言われても、NHLで働けると言われても、やりたいとは思いません。それくらい、今の仕事が大好きで、毎日が充実しています。

ホッケーだけに限ったことではないんですけど、僕は誰かのために何かをするのが好きで、何をするにしても自分のことがついつい後回しになっちゃうタイプなんです。自分が何かしたことで誰かが喜んでくれるというのが、自分にとっては最高の喜びなんですよね。本当に。

海外の大会や合宿に行っても、子どもたちが楽しんでる姿を見るのが何よりの楽しみです。そういう経験が、彼らの成長に繋がってくれたら、こんなに嬉しいことはありません。

思い返してみると、僕は子どもの頃から人を集めて何かするのが好きだったんです。アイスホッケーを始める前は、地域の子どもたち集めて野球チームを作って、みんなの打率を計算して打順を考えたり、試合のスコアブックなんかも自分でつけて、監督みたいなことをやってました。昔からそういうのが好きだったんですよね。

いろいろと巡り巡って、失敗もたくさんしてきましたけど、もしかすると今は本来の自分に戻ってきたのかもなって気さえしています。だから、きっと今の仕事は天職なんでしょうね。

TK HOKCEY
執筆:阿部 光平/撮影:木村 雄司/編集:藤村 能光

WRITER

編集・ライター・2児の父。5大陸を巡り、旅行誌やタウン誌の仕事を始める。現在は雑誌やウェブ媒体で、旅行、音楽、社会問題など様々なジャンルの取材を行っている。東京で子育てをする中で暮らしや働き方を見直すようになり、仲間と共に地元・北海道函館市のローカルメディア『IN&OUT –ハコダテとヒト-』を立ち上げた。

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