イケウチな人たち。

by IKEUCHI ORGANIC

好きな人たちと考える、これからの豊かさ

イケウチな人たち。について

「生きがいは、心地よさを引き寄せる」東京で働くエンジニアだった僕が、移住してまで転職した理由

- 株式会社八女流・沖雅之-

「エンジニアから大きくキャリアチェンジし、さらに家族と福岡県に移住したのはなぜですか?」

「そうまでして暮らしを変えていこうとする原動力は、なんだったのでしょう」

これらは、本記事で登場していただく沖雅之さんに筆者が伺いたかったことです。

12年前、都内でシステムエンジニアとして働いていた沖さんの心を掴んだのは、地域で働く人々の姿でした。

そして、全国の地域で活動する法人のひとつとして、IKEUCHI ORGANICは沖さんと出会います。

イケウチオーガニックの前身となるファクトリーブランド「IKT」時代のタオルケットを愛用する沖さんは、2017年から3年連続で、今治の自社工場にお客さまを迎えるイベント「今治オープンハウス」に参加し、イケウチの社員の誰よりも早くイベントのレポート記事を公開。

タオルに惚れ込む熱量は、タオルソムリエの資格を取得するほどです。

そんな沖さんは2017年に、ファンとして応援し続けてきた、林業を起点に持続可能な地域の実現を目指して事業を展開する株式会社トビムシへの転職を決め、妻の可奈さんと福岡県八女市に移住しました。

現在はトビムシの事業会社である八女里山賃貸株式会社で、移住したい人が住める賃貸住宅「里山ながや・星野川」を運営するほか、2019年には林業を軸に生産から流通、商品開発まで担う株式会社八女流(やめりゅう)を創業し、夫婦で地域の資源を活かす仕組みづくりをしています。

里山ながや・星野川

夫婦の興味の向かう方へと舵を切り続けて、およそ10年間。

心惹かれることを追いかけ続ければ、おのずと「心地よさ」に通ずる。と、沖さんの今が教えてくれます。 

この記事を読み終え、沖さんの人生に起こった変化を知った時、あなたの心は何を求めているでしょうか?

移住と転職。いきいき働く姿に憧れて

――イケウチやトビムシに興味を持つきっかけは何だったのでしょうか?

イケウチさんと出会ったのは、2010年。投資信託委託会社の鎌倉投信の受益者総会に、池内さんとトビムシ代表の竹本が登壇していたんです。

懇親会でも池内さんと竹本と話をする機会があって、そこで深く共感してですね。

彼らを応援したいと思った時に、セキュリテという個人が少額から事業者に出資できる投資プラットフォームで、イケウチさんがコットンヌーボーを作るための資金を集めるファンドを始めていて。

たまたま同じ時期にトビムシも、間伐材で割り箸を作るための資金を募るファンドを始めたので、その発表会にも行ったんです。

国産の間伐材から割り箸を作るから、森の維持管理ができて環境に優しい。割り箸を使い終わったあとは回収し、ボイラーなどの燃料になり、割り箸を作る時にできるオガコは畜産の敷料として使われた後、堆肥になって野菜の栽培に活かしたりする。

この循環する話がおもしろくて……。もともと林業には興味がなかったですし、あまり明るい話も聞かない。そんな林業で前向きなことができることにワクワクしてしまったんです。

――仕組み萌えするんですね。

そうですね。仕組みがおもしろいと、つい見てみたくなってしまう。

それからは地域に事業会社を作るトビムシの活動地域に遊びに行くようになり、試行錯誤しながらもいきいきと働く人たちに憧れるようになりました。

ある時から、「自分たちも彼らのようになりたいね」「いつか移住して地域で働けたらいいね」と夫婦で話すようになりまして。

その後妻が勤めていた会社を辞める目処がついて、僕も前職を辞めるか検討している時に、トビムシのツアーで八女市の町並みや林業を見学させてもらいました。

八女市ではトビムシがこれから会社を立ち上げて事業を始めようとしている状況だったので、「会社が立ちあがったらそこで雇ってください」と代表の竹本に相談したんです。

そうしたら竹本から「会社が立ち上がる前から来てもいいよ」って言われて。

「ぜひお願いします」と、当初の予定よりもだいぶ前倒しして転職することを決めました。

移住者が住める、里山賃貸住宅を作る

――トビムシに転職してからはどんな仕事を始めましたか?

最初は里山賃貸住宅を作ることから始めました。

里山賃貸住宅は八女市に移住したい人が、地域で信頼を貯めるために数年間居住できる住まいです。「あの人だったら空き家を貸してもいいよ」と。

――移住者が空き家を借してもらえないという話は、全国の地域でたびたび伺います。

空き家の家主さんからすると、全く知らない人に貸すのは怖かったり、仏壇や荷物があって貸すのが面倒だったりします。

かといって遠くから移住してくる人がはじめから家を買うかというと、買えるわけでもありません。

移住しようとしてもすぐに住める住居が見つからないなら、移住したい人が住める賃貸住宅が地域に必要ではないか。

地元の木材を使って住まいを作れば林業の活性化につながりますし、木の家の心地よさを知ってもらえるのではないか。

そんな住まいがあれば、一度ここで暮らした人が定住するために引っ越す時にも、地域の木を使いたくなるかもしれない。

中山間部の地域が抱える課題を解決するためには、誰かがリスクを取って移住者が住める住宅を作ってみるしかないですよね。

建設反対を乗り越えられた理由

――とはいっても、八女市に引っ越して来たばかりの移住者が住宅を建てるために地元の人たちに協力を仰いで、上手くいくのでしょうか?

いや、基本的にはうまくいかないです(笑)。

最初は、今とは違う場所に里山賃貸住宅を建てることを計画していたのですが地元の人から建設を反対されてしまいまして……。そこで、市内中探しまわって廃校になった小学校跡地を使わせてもらえないかと地元の方達に相談しました。

「八女の杉を使って家を作るから里山の風景に馴染みますし、これから移住したい人たちが住む住宅です」と話したんです。

けれど聞いてくれた人たちのなかで理解を示してくれたのは自治会長さんを含む一部の人だけでした。新しくアパートを建てても地域の景観に合わないし、そもそもこんなところに住宅を建てても誰も入居しないのではないか、と疑問があったのだと思います。

それでも自治会長さんたちと一緒に根気強く説明し続けたら理解してくださって、なんとか地元の人たちに協力してもらえるようになりました。

僕らのやりたいことを地元の人たちが理解してくれたのは、上棟式の時。八女産の品質の高い木材を使って住宅を建てている様子を見て、みんながウェルカムな雰囲気になりましたね。

――地域の方からの理解と共感を得られた理由は何だと思いますか?

地域の方達と何回も相談する中で、地域からの要望を取り入れたり、八女市も一緒になって交渉してくださったことで地元に溶け込もうとする人が増えるならいいのではないか、と。

あとは、僕らが管理人として移住者と地元の人をつなげるケアをしていること。

地元の人たちは移住者が地域の行事に参加してくれるか心配していたので、「地域に馴染めるようにサポートします」とお伝えしたことも影響していると思います。

林業を持続させるために、地域の木として届ける

――ユーザーの需要や地域の課題に沿った製品づくりを一貫しておこなう林業の事業者は増えているんでしょうか。

日本全体ではまだそれほど増えてはいないと思います。

1964年以降、日本の木材自給率は木材輸入が自由化によってどんどん下がっているので、林野庁はなんとかそれを増やそうとしています。

すると量をさばけるような施策を打つんですね。量を出そうとすると、木をまとめてたくさん切って、高温乾燥で仕上げて、すぐ出荷する。それは一番効率的なんですよ。

量もさばけるから、結果的に木材自給率が上がっていくストーリーが描かれています。

でも、それは効率を求めているので地域によってはそれほど稼ぎにならなかったり、大規模な設備がないとできなかったりします。

八女市の場合は、家族で営んでいるような小さな製材所がたくさんあります。

地域でどうやったら力をあわせて活かしあえるか考えるべき時に、大規模な工場でまとめて製品を作っていくストーリーでは、今まで林業を担ってきた人たちは生き残れなくなってしまいます。

実際に小規模の製材所では、八女の木だけではなく他の地域からも木を買ってきて、いろんな木を混ぜて大工さんに卸しているんです。

もう少し規模が大きい事業者は、八女の木を仕入れてきてプレカット工場へ住宅用の材を出しているのですが、あくまでもそれは素材であって八女の木であると謳われません。

結果的に八女の木の家、とは言えない住宅ができてしまう。

八女の木を、八女の製材所で、八女の木であることがユーザーに伝わる最終製品に仕上げて届けたいと思っています。

八女市に来てもらう仕組みを作りたい

――地域の木として届けるために、どんな施策を考えていますか?

八女の杉は、山主さんがこだわって試行錯誤してきた結果として品種がすごく多いんです。

一般的に杉は地域の特性や気候にあわせて2~3品種が植えられていることが多いですが、八女の場合は杉だけで約30品種も植わっていて、品種の八女林業とも呼ばれています。

今後はそれらの木材をただの素材ではなく、地域の木としてこだわりを持って選ぶ人たちへちゃんと届けるために品質を高めていきたいですね。

共通のゴールを持てば小規模の事業者でも連合体として生き残っていくことができるのではないか、と仮説を立てていまして。

昨年の2月に、仮説を実証していくための地域商社を立ち上げました。株式会社八女流では「八女熟杉」というブランドとして、プロが品質管理まで徹底することで高い品質の木材を届ける体制を整えています。

僕らも八女市のことを気に入ったからここで暮らしているし、ここを訪ねてくれた多く人が八女市のことをすごく気に入って帰っていきます。

ですから、まずは八女市に来てもらう仕組みを作りたい。

八女産のおいしい食材を楽しんでいただいたり、伐採現場や製材所にも来ていただいて林業について知ってもらうようなことをしていきたいですね。

この土地を気に入ってもらったうえで、木を使う場面では八女の木を使ってもらえたら、と考えていて。構想としては里山賃貸住宅も八女市内に何軒か作ろうとしています。

心惹かれる何かを追い続けた先にあるもの

――この10年の間にキャリアチェンジや移住を経て、ひとりのファンから、ひとりの地域のプレイヤーになったんですね。沖さんを動かした原動力はなんだったのでしょうか?

うーん。トビムシやイケウチさんのイベントに行って帰って来た時に、自分自身がすごく元気になっているんですよ。

だからやっぱり、なんらかの無いものを求めに行っていたんだろうなと思います。

――無いもの?

僕がこれまで勤めていた会社は働くことに対して前向きな人がそれほど多くなかったので、イケウチさんやトビムシのみんなが同じ方向を向いている姿がすごくまぶしくて。

今の僕みたいに事業の立ち上げに苦労して色々な問題を抱えていながらも、彼らは立ち上がろうとしていました。

もがいているのは何とかしようとする気持ちの裏返しでもあるので、すごく純粋な気持ちです。

こういう環境で働いたら、自分の働き方に対する考え方も変わるのかなって思ったんです。

八女に来た今は、製品企画や品質管理から建設プロジェクトまで難しいことに直面することは増えていますが、それに嫌な感覚はなくて、みんなはこういうところに苦労したのだなと思いながら対応できるようになりました。

――働くことに対する心持ちが変わったんですね。

東京で働いていた頃は我慢して働いていたのだと思います。

今は環境が自分にとってストレスを感じる場所ではなく、居心地がいい場所です。家に帰ってきて空を見れば星や月がきれいなので、ホッとするんです。

地域の皆さんが僕らを受け入れてくれましたし、仲良くなりましたし、僕はずっと体調もよくて風邪を引かなくなりました。

人も自然も食べ物も、居心地がいいものとの距離感がすごく近くなったように感じます。

――心惹かれるものに近づいていったら、生き方そのものが変わってきたのでしょうか。

以前はストレスを解消するためにイケウチさんのタオルを使っていたのかもしれません。

イケウチさんのタオルのようなものを集めることで心地よさを作ってなんとかしていましたが、環境そのものを心地いいなと思えるようになりました。

僕らが子どもの頃はビデオやパソコンのような新しいものを増やすことが豊かさだったと思うんです。

けれど量を増やすことによって豊かな気持ちになるところから、だんだん僕らは質と心地よさを求めるようになってきていると感じます。

八女市内でもケーキ屋さんの内装材として八女熟杉を使っていただいているのですが、木はコンクリートのような無機質な素材とすごく相性がいい。

木は生き物なので、空気がどことなく柔らかくなります。その場にいると落ち着くんです。

僕らの作る製品も、心地のいい空間を作るのに役立てるもの。

心地のいい空間が必要な時に、僕らの製品がその選択肢としてあるようにしていきたいですね。

八女流

執筆:小松崎 拓郎/撮影:木村 雄司/編集:藤村 能光

WRITER

1991年茨城県生まれ、ベルリン在住。フリーの編集者/フォトグラファー。「灯台もと暮らし」編集長、「もとくらの写真/現像室」オーガナイザー、オリンパスアンバサダー。

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